marantz。海外生まれ日本育ちの珍しいオーディオメーカ

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●様々な運命をたどるマランツブランド
 マランツが生まれたのは1953年、市販のアンプに満足しなかった、ソウル・B・マランツがアンプを作るために起こした小さな工場からでした。
 そこで生産されたmodel1は、テープモニター回路を採用した画期的なアンプで、オーディオファンの間では人気となったのです。
 その後、マランツは数々の名エンジニアを向かえ「アンプのマランツ」の地位を確保していきます。
 しかし、FMステレオ放送への対応の遅れ、あまりに懲りすぎたレコードプレーヤの開発などにより、資金難に陥り、スーパースコープ社に売却されてしまいます。
 スーパースコープ時代のマランツは黄金時代を迎えます。真空管からソリッドステートへの移行時期であった1965年。プリアンプ#7はソリッドステートアンプ第1号機を発売、さらに1970年には一体型ステレオパワーアンプとして#32、さらに本格化した#240とパワーメータ付の#250を発表。さらに立て続けにアンプを発表し、世界にマランツの名を轟かせることになります。
 
 日本との出会いはこの頃。スパースコープ社は中級コンポ、レシーバの開発を日本のスタンダード工業に依頼。1968年に生産をスタートした#25モジュラーステレオからでした。1971年にスタンダード工業の経営改善のために、傘下に加え、1975年に日本マランツと社名変更。アメリカ生産商品を残し、マランツの設計生産の主力は日本に移ります。
 
 しかし、マランツの運命は順調に行きません。1980年、スーパースコープ社は極度の資金難により、アメリカ、カナダ以外の海外資産をオランダ フィリップス社に売却。以降、混乱の時代となります。

 フィリップスの先進的なテクノロジーにより、1982年、CD-63としてマランツブランドのCDプレーヤを発売。さらに、レーザディスクプレーヤの生産にも着手し、AV総合ブランドへの第一歩を踏み出します。

 しかし、北米のみマランツブランドを保ち続けたスーパースコープ社とフィリップス・マランツとの混乱は続き、ローコストシステム中心の北米マランツブランド、ヨーロッパそして日本の高級オーディオブランドとしてのマランツは混同されることが多く、1990年にフィリップによる北米におけるマランツの諸権利を買い取るまで続きます。
 そして、日本でも、オーディオ全盛期が過ぎ、生き残るオーディオ専業メーカは少なくなりました。1990年代のマランツはそのブランド力から苦戦を強いられ、マランツ=安いオーディオというイメージがあったのは否めません。事実私がオーディオショップにいた頃、マランツ=安い=B級品というイメージはありました。
 そのイメージを覆したのは、PM-88SEというプリメインアンプでした。価格90,000円でありながらトロイダルトランスや銅メッキシャーシを採用した力作で、「アンプのマランツ」の底力を垣間見た気がします。

●日本での再出発。D&Mの発足
 2001年5月、日本マランツはフィリップスからマランツの商標権、営業権、海外の販売会社及びその資産を買収します。これにより、全世界共通コンセプトによるマランツブランドの事業展開が図れるようになります。そsちえ、2002年、リップルウッドが主体となり、同じ経営不振に陥っていた日本コロムビアのオーディオ部門DENONと経営統合がなされ、共同持ち株会社D&Mホールディングスが設立。日本を代表するプレミアムブランドが統合されることとなります。
 後、マランツ、デノンそれぞれのブランドカンパニーが独自に企画・開発を行う体制となり、デノンとともに、エントリー機から高級機種までを揃える日本では数少ないオーディオメーカとなります。
 フラッグシップであるステレオコントロールアンプ SC-7S1、モノラルパワーアンプ MA-9S1、そしてプリメインアンプ、PM-11S1を筆頭に、アンプの「マランツ」の地位を保ち続けながらも、スーパーオーディオCD、さらにはプロジェクターなどへの展開を加速させています。

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